倉本が、今井を社長室に呼んだ。

「今井君、わたしの友人である中山伊之助君が、八重山(やえやま)で砂糖黍
事業に取り組んでいる。そこで砂糖黍栽培と製糖業を学んできてください。で
きたら、中山君と合弁事業を進めてくれないか」

「はい、わたしも砂糖黍栽培を学んでおきたい、と思っておりました。ぜひ、
行かせてください」

 と、今井が言うと、倉本は今井の肩を叩いて、

「しっかりやってくれたまえ!」

 と、激励した。

 今井以下四名が出発して10日目、八重山諸島石垣島に着いた。

 一行は、港で出迎えを受けると、中山農場に向かった。

 中山農場は、二百ヘクタールの農地に、砂糖黍(さとうきび)を栽培する「
大農場方式」であった。

 農場内には、製糖工場、事務所、倉庫、社宅、牛馬小屋などが建設されてい
た。

「よくきてくれたね、倉本君から手紙で詳細を書き送っていただいた。しっか
り製糖業を学んでくれたまえ!」

 口髭を生やした大男の中山が、今井たちを出迎えた。

 ここには、職員八名、医者一名、農夫・職人十五名、雇員の家族十六名、合
計四十名が暮らしていた。

 牛馬小屋に牛十頭、馬四十頭がいて、一ケ月の食料と飼料の補給も大仕事で
あった。

「驚きました!もっと小さな農場と思っていました」

 今井が正直に言うと、中山は口髭をなでながら豪快に笑った。

「倉本君から吾輩が、大風呂敷を広げる輩、と聞いていたんだろう?」

「とんでもない!しかし、中山さん、大規模な農場ですね。わたしは素人だか
ら、砂糖黍栽培がこんなに人手がいるとは、知りませんでした」

「精糖業は人件費、製糖技術、自然災害など課題が多い。しかしね、将来有望
な事業だよ。いいかね、砂糖は品質さえよければ、いくらでも高く売れる。品
質の高さが、高価格に結びついているのだ。質の良い白糖(はくとう)を作れ
るかが、成功・失敗の分かれ目だね」

 と、中山が言うと、今井たちも納得した。 

「君たちには、社宅を用意した。今から荷物を置いてきたまえ。後ほど、農場
の施設を案内しよう」

 中山は、五人を社宅に案内した。

「まずは、診療所から訪問しよう。ここは亜熱帯だから、風土病(ふうどびょ
う)が怖い。従業員が感染すると、たちまち戦力低下だ。健康が一番大切だよ」

 一行が診療所を訪ねると、白衣を着た若い女医が、患者を診察していた。

「香山百合(かやまゆり)先生です。先生は大里研究所から派遣されて、風土
病の研究に来ております」

 と、中山が紹介した。

「今井です。南洋貿易から製糖研修にきました。よろしくお願いいたします」

「あら、東京の方ですか?」

 若い女医は、明朗闊達(めいろうかったつ)で、きびきびした表情をしてい
た。

「ええ、東京で船長をしていましたが、製糖業を学びに中山農場へ派遣されま
した」

「では、風土病の知識がありそうね?」

「ええ、一度マラリアにかかっています」

 香山医師は、白い歯を見せて笑った。

「じゃぁ、わたしの出番はなさそうね」

 中山が、からかった。

「先生、風土病に罹らなくても、今井君は恋の病にかかりそうですよ」

「まぁ、大変!」

 百合が驚くと、中山が豪快に笑った。

 今井は、二人にからかわれて挨拶を終えた。

「次は、砂糖工場に案内するよ」

 中山が向かったのは、九十平方メートルもある大きな建物であった。

 工場内には、圧搾機(あっさくき)が四台、大釜(おおがま)が五台据え付
けられていた。

「圧搾機が肝心だよ、これの優劣で、砂糖の歩留まりが違うからね。この石車
は二百貫(0.72t)あるのだ。牛二頭に引かせているが、これは重労働だ
よ」

 工場では、牛が大きな圧搾機を曳いていた。

 歯車が回転すると、石臼(いしうす)の間から砂糖黍の液が絞られていた。

 大きな桶にたまった液を大釜に入れて煮詰め、煮詰まった黒砂糖を天日に干
して固める。

「このような工程で黒砂糖ができるが、それを原料にして白砂糖に精製するの
が難しい。日本の白糖の技術は、未だヨーロッパに及ばんよ」

「社長、わたしは、頑張ります。ヨーロッパに負けない上等の砂糖をつくりま
しょう」

 今井たちが奮闘を始めて、約半年が経過した。

中山農場の砂糖黍栽培は、次第に軌道に乗り出した。

「今度の植え付けは、成功だ!黍苗の生育が順調だよ」

「亜熱帯だけあって、スコールが多いから、水遣りが楽ですね」

「そうだ、しかしね、砂糖黍は消毒が大変だよ」

「この黍で、さっそく砂糖を作ってみますか?」

「まだ、十分育っていないが、やってみよう」

 と、中川が承諾したので、従業員たちは製糖に取り掛かった。

 最初の製糖量は、3万2637斤であった。

今井たちは、植え付けから手入れ、圧搾、煮詰めと製糖の工程をすべて勉強
できた。

「おかげさまで、勉強になりました」

「まぁ、最初はこんなものだ。来年は生産を倍増しよう!」

「やりましょう!」

 中山の檄(げき)に、今井たちは元気良く応じた。

 製糖作業が終わると、農場で収穫慰労会が開催された。

泡盛(あわもり)や御馳走が提供され、石垣島の島民たちも招待された。

島民たちは、次々と島唄を披露して、宴会は盛り上がった。

 中山伊之助も立ち上がって、詩吟を披露した。

「鞭声粛粛 夜河を渡る・・・・・・」

 中山のドラ声が、南国の夜空に響き渡った。

星を見つめていた老人が、呟いた。

「えらく星がまたたいておる。大風が吹く兆しじゃ」

 それを聞いた今井が、老人に尋ねた。

「本当ですか?わたしには、明日も良い天気にみえますが・・・・・・」

「島の天気は、わしらが一番知っている。これは2,3日後に大嵐になりそう
じゃ!社長さんに、知らせておく方が良いな」

 今井は、急いで中山を捜して言った。

「古老が大嵐襲来を、心配しておりますが!」

「ここには、しょっちゅう台風が襲来する。いちいち気にしていたら、生活で
きんよ」

 中山は一気に泡盛を飲み干すと、上機嫌で事務所の方に行ってしまった。

 今井は、香山医師を捜した。

 百合は、今井の部下の小野、井上、岩田、谷口らと騒いでいた。

今井を見つけると、声をかけた。

「今井さん、こちらにいらっしゃいよ。泡盛の一気飲みをしているの!」

 今井は百合に近寄ると、老人の予報を伝えた。

「先生、真剣に聞いてください。島の古老が、大嵐を心配しています。2、3
日後に襲来するそうです。台風が襲来すると、怪我人が出ます。すぐに医療器
具や薬品を避難させてください」

「それ、本当?でも、用心しておかないとね。ここは孤島だから、救援がすぐ
にこないわ」

「手伝いますよ、おい、おまえたち、すぐに診療所に行け!」

 と、今井が、小野たちに命じた。

かれらは、百合の後に続いた。

「薬や包帯を、地下倉庫に運んで頂戴!」

 百合がテキパキ指示し、小野たちは、医療器具や薬品を製糖倉庫の地下室に
運んだ。

 作業が一段落したあと、百合が言った。

「御苦労さまでした。でもね、予報が外れることを祈るわ。ここの医者はわた
しだけだもの」

「先生!わたしたちも助手になります。台風が来たら、手伝わせてください」

「ぜひにも、お願いするわ」

 百合が、緊張した表情で頷いた。

 

翌日から、島中の樹木がざわめきだした。

 蘇鉄(そてつ)やアダンの木が大きく揺れだすと、中山も従業員を集めて、
台風対策に取り組み始めた。

「いいか、綱で建物を固定せよ!」

「屋根に、石をもっと置け!」

「窓は、板で釘づけにせよ!」

「砂糖は、地下室に運んでおけ!」

 中山は事務所にユタを呼ぶと、災厄除けの儀式を行った。

「準備は、万端だ!あとは運を天に任すほかない」

 と、中山は腹をくくった。

 その夜から、風雨が激しくなった。

 バケツをひっくり返したような豪雨に、従業員は動揺した。

「なんと、今まで経験したことがない大雨じゃ」

「畑は、池になっている。このままでは、砂糖黍は全滅じゃ。根ぐさりしてし
まう」

「あっ、雨漏りじゃ、水桶を持ってこい!」

「外は真っ黒で、桶が見つからん」

 従業員が心配していると、暴風が吹きだした。

 轟音とともに、地上の樹木がなぎ倒された。

 砂糖黍が吹き飛ばされると、全員が落胆した。

「あっ、砂糖黍が全滅じゃ!」

 暴風が烈風に変わると、農場の建物が倒壊し始めた。

「あっ、診療所が壊れた!」

「大変じゃ、倉庫の屋根が吹き飛んだぞ!」

「社宅も倒された!住むところがないぞ」

「牛や馬を事務所に集めよ!」

「もう、逃げだしておりません!」

 と、従業員が騒ぎだした。

中山が、怒鳴った。

「みんな、落ち着け、落ち着け!この事務所は頑丈につくっている。どんな台
風でも大丈夫じゃ」

 従業員は、恐怖の一夜を過ごした。

翌朝、外に無残な光景が広がっていた。

従業員たちが外に出ると、牛馬の死体が目についた。

「あっ、牛や馬が死んでいる!」

「全部やられたぞ!」

 50頭の牛や馬は、全頭あちこちで死んでいた。

 吹き飛ばされた社宅から、従業員の家族のうめき声が聞こえてきた。

「誰か、助けて!」

「痛いよう、痛いよう!」

 百合が、今井たちに叫んだ。

「すぐ助け出し、事務所に運んで来て!」

 負傷者たちは、倒れた柱の隙間から助け出された。

「早く手当てをしてくれ!」

 と、怪我人が訴えた。

 百合が医療器具と薬品を、地下室から運び出した。

 救急治療が開始され、事務所は怪我人で満杯になった。

 今井たちが、助手として手伝った。

 中山農場以外にも、石垣島の島民たちが、大勢運び込まれてきた。

「薬と包帯が無くなった!」

 と、百合が悲鳴をあげると、中山が言った。

「押入れからシャツを出して、包帯をつくろう」

 小野や岩田らが、その作業に取り組んだ。

 農場の見廻りに出た中山が、青ざめた顔で帰ってきた。

「砂糖工場が無くなっている、農場は終わりだ!」

 砂糖工場の建物が吹き飛んでしまい、石車だけが残っていた。

 今井たちも外に飛び出すと、呆然として工場跡を見つめた。

「何もない!」

 風速60メートルを超える暴風雨は、中山農場を壊滅させた。

 二日後、中山は今井を呼んで依頼した。

「今井君、那覇(なは)から救援隊が到着した。君は救援隊の船で那覇に行っ
て東京と連絡を取ってくれんか」

「わかりました、至急救援物資を頼んできます」

「頼むぞ!倉本社長だけが、救いの神だ」

 中山は言うと、今井の手を固く握った。

 その節くれだった指に、石垣島開拓に賭けてきた中山の汗と涙が、しみ込ん
でいた。