電報を受け取った倉本社長は、その内容を見て驚愕した。

 ナカガワノウジョウ ショウメツス シキュウ、キュウエンブッシヲオクレ

「消滅しただと?どんな台風に襲われたのか」

「新聞では、風速七十メートル、と書いておりますが・・・・・・・」

 と、前田孝太郎が答えると、倉本は絶句した。

「七十メートル!わが社の社員は、無事だろうか?前田君、至急天神丸に水と
食料品、医薬品を積みこんで、出港してくれたまえ」

「すぐに取り掛かります」

 前田は、諸方を走り回って物資を手当てすると、天神丸に積みこんだ。

「市川君、すぐに石垣島へ行ってくれ!現地では、今井君らが大変なことにな
っている」

「わかりました!全速力で走ります」

 天神丸が石垣島に入港すると、被災者が港に集まってきた。

「水をくれ!」

「食べ物を分けてくれ!」

「薬を分けてくれ!」

 市川が荷揚げをすると、船員たちが物資を分配した。

 今井が、港に現れた。

「市川君、ありがとう!よく来てくれたね」

「今井君、無事だったか!社長も心配しておられたよ」

「地獄のような台風だった、生きた心地がしなかったよ」

 今井が台風の被害を説明すると、市川が絶句した。

「それで、無事とは奇跡だ!古老の予報が当たったわけだ!」

「備えあれば、憂いなしだ。命だけは助かったよ」

 やがて、百合が現れた。

「医薬品が必要なのです、持って来て下さいましたか?」

「救急薬品だけですが、とりあえず揃えております」

「有難うございます。これで怪我人が助かります」

「被害は、いかがでしたか?」

「想像を絶するわね、風速60メートルを越えました。生きているのが不思議
なくらいです」

「風速60メートル!生き残ったのは奇跡ですね」

 と、市川が驚愕すると、百合は頷いた。

 市川は今井に、

「そうそう、社長はすぐに帰って詳細を報告せよ、と命じられた。天神丸に乗
って、帰京してくれたまえ」

 と、伝えた。

「わかった、すぐ出港しよう」

「今井君、先ほどの美人は誰だい?」

「ああ、香山先生ですよ。ここで風土病の研究をされている医師です」

「美人で、はきはきしている。僕のこのみだ」

 と、市川が言うと、今井は苦笑した。

 ふたりは天神丸で、東京に帰った。

「今井君、全員無事だったかね?」

「はい、しかし、中山農場は壊滅です。再起は無理でしょう」

「中山君は、どうするのかね?」

「石垣島を放棄して、台湾(たいわん)に移る御意向でした」

「台湾か!中山君の復活を願うよ」

 倉本が暗然たる表情を見せると、今井は、

「中山さんは、不死身ですよ。すでに台湾移住の計画を立てていましたから」

 と、言った。

 

1899年(明治三十二年)、日清戦争の軍需景気に乗って、南洋貿易は事
業を拡大した。

 倉本は9月29日、資本金十万円で、新たに「南洋貿易・日置株式会社」を
設立した。

 この会社の概要は以下の通りである。

 本店 西牟婁郡日置村大字日置六二二番地

 支店 南洋カロライン群島ポナペ、南洋マリアナ群島グツーム、サイパン

 目的 南洋貿易

 資本金 10万円(1株50円)

 役員 取締役 倉本徳左衛門以下四名、

    監査役 二名

 以上の陣容で出発した新株式会社は、順調に業績を伸ばした。

 三年目には、売上総額24807円、純益13974円、株主配当金700
0円、役員賞与980円を記録した。

 倉本社長は、今井を賞賛した。

「良くやった、今井君。南洋貿易の業績は上昇中だよ。そろそろ、わが社も社
名から日置を取って、『南洋貿易株式会社』と変更しようと思うのだが・・・
・・・」

「社長、賛成です。いまや『南貿』は、地方会社ではありません。日本を背負
って立っているのです。わたしは国益のため、サイパン島での砂糖黍栽培に挑
戦したいのです。中山さんからも協力したいと、手紙が来ています」

「そうか!中山君が協力してくれれば、鬼に金棒だ」

「社長、許可していただけますか?」

「やりたまえ!日本の貿易伸長をドイツが良く思っていない。たびたび、いち
ゃもんをつけてくる。ここらで、ドイツの鼻を明かしてやろう」

 倉本が許可をすると、今井は大里研究所に香山百合を訪ねた。

「香山先生、お久しぶりです」

「石垣島以来ね、その後、大活躍だそうじゃない?中山さんから聞いたわ」

「中山さんが!でも、どうしてですか?」

「中山さんが、台湾(たいわん)に渡ったのをあなたは御存じね?わたしは、
彼に誘われて風土病の研究に行っていたのよ」

「そうだったのですか!中山さんは、音信不通だったのですが、先日サイパン
島の製糖を誘ってきたのです」

「台湾でも、台風や人件費の高騰で苦労したから、サイパンでやり直すつもり
よ、きっと!」

「なるほど!じつはわが社では、サイパン支店を強化して事業拡大を計画して
います。その一環として、製糖業に取り組みたいのです」

「サイパンは、暴風が少ないから、確かに砂糖黍栽培の適地だけど、ひとつ問
題があるわ。ドイツ領なので、土地の確保が難しいわね。それと風土病が多く、
日本人労務者では無理ではないかな?」

「原住民は、使えませんか?」

「チャモロ人やカナカ人は無理よ。漁業以外に使えないわ」

「それは困った!土地と労働力の確保が問題ですね。わたしは、これからドイ
ツ大使館に回ります。失礼しました」

 大里研究所を後にした今井は、ドイツ大使館を訪ねた。

「大使閣下は、御在館でしょうか?わたくし、南洋貿易の今井と申します」

「よくいらっしゃいました。わたし書記官のオットー・ライデンです。大使は
あいにく外出中です」

「じつは、わが社では、サイパン島での製糖業を計画しています。ぜひとも、
大使閣下の御助力をいただきたく参上した次第です」

「私でよければ、お話を伺います」

「わが社では、サイパン、テニヤン、グァムなどに砂糖黍を栽培して製糖業を
始めるつもりです。しかし、農地が取得困難と伺いました。大使閣下のお力添
えで、取得したいのです」

「いかほどお望みですか?」

「900ヘクタールを希望いたします」

「それは大変です!サイパン島は面積が122平方キロメートルしかありませ
ん。しかも大部分は山ですよ。平地は南部のチャランカノア地区だけです。そ
こに900ヘクタールの農園をつくるならば、ドイツ人の住む場所がなくなり
ます」

「しかし、ライデン書記官、ドイツ人はガラパンに住んでいるだけで、ほとん
ど事業をしていないではありませんか?」

「それは、我が国がサイパンを『流刑地』にしているからです。事業をするた
めに統治していないのですよ」

「でも、もったいないではありませんか。流刑地より農場を開けば、ドイツ帝
国への税収は増加します。そのほうが、お国の利益になりませんか」

「あなたの提案は、魅力的ですね、考慮に値します。大使閣下に報告致しまし
ょう」

「書記官の御尽力に、期待致します」

 今井は会社に帰ると、倉本社長に経過を報告した。

「そうか、ドイツ大使には、わしが会って話そう。それより君には、サイパン、
テニヤン、グァム島を視察してほしい。市川君の天神丸が出港するから、10
日後に出発してくれたまえ」

「はい、わかりました。胸が高鳴りますよ、社長!」

 と、今井が元気よく答えると、倉本が質問した。

「香山先生とは、進んでいるのかね?」

「さっぱりですよ、相手にされません」

「そうか、だったらサイパン視察に誘ってみたらどうだ」

「いいんですか?公私混同になりますが」

「賞与だよ、よく働いてくれたからね」

「ありがとうございます!」

 今井は躍りあがると、大里研究所に駆け付けた。

「香山先生、サイパン島視察に同行しませんか」

「サイパン、どうして?」

「わたしが責任者となって、サイパン製糖業に取り組みます。そこで、社長か
ら視察に出発するように命じられました。先生をサイパン支店の医師として雇
用しても良いそうです」

「本当?それは素晴らしいわね!しかし、裏に何か魂胆がありそうね?」

「とんでもない、先生の研究熱心さを、社長は評価しています。ぜひとも、援
助したいと申しております。南洋に進出するわが社にとって、風土病対策は重
要課題なのです」

「せっかくの御好意なので、お受けするわ。社長によろしく伝えてください」

 と、百合が承諾すると、今井は喜びを隠せず微笑した。

 

横浜港を出港した天神丸は、10日余りの航海でサイパン島に到着した。

 ココヤシやサゴヤシに覆われた島の中央に、三角形の山が目立っていた。

「あれがタッポーチョ山ね!」

「標高473メートルです。サイパン一高い山です」

 船はサンゴ礁内に入り、波穏やかなタナパグ港に到着した。

「さぁ、つきました。支店から迎えが来ている筈ですが・・・・・・・」

 今井が桟橋の人物を探していると、白い麻の背広を着た紳士が手を振った。

「おうい、今井君、ここだ、ここだ!」

「前田支店長、御苦労さまです!」

 前田は百合を見ると、

「香山先生、南洋貿易サイパン支店の前田です。倉本社長から、十分にお世話
致すよう、言付かっております」

 と、愛想良く応じた。

「よろしくお願いします、狭い船内で退屈しました。熱いお風呂に入りたいわ、
ホテルはどこですか?」

「サイパンホテルを予約しております。夜、八時からホテルでお二人の歓迎パ
ーティを開きます。それまでゆっくりと、くつろいで下さい」

 と、前田は言うと、港に止めていたベンツに案内した。

「ドイツ製ですよ、何もない殺風景な島ですが、自動車だけは優秀です」

 三人はガラパン市内に入り、サイパンホテルに到着した。

 湿度が高く、日差しがきつかった。

「さすが南洋ね、蒸し暑いわ!」

「午後までご辛抱下さい。午後になると、スコールが降るので、涼しくなりま
すよ」

 と、前田は答えた。

「今井君は、支店へお願いします。社長から電報がきているよ」

 と、知らせた。

「ドイツ大使との借地交渉が、うまく行ったのかな?」

 今井は、希望に胸を膨らませて支店に急いだ。

「これが、社長から君宛の電報だ」

 と、前田が差し出した電文は、次の内容だった。

 

 シャクチ キョカエタ タダシ チャランカノアチク サンビャクヘクター
ルノミ

「万歳!とにかく砂糖黍を植え付けられる」

 と、今井が飛びあがると、前田は握手を求めた。

「おめでとう!これで、製糖が始められるね」