1914年(大正三年)の第一次世界大戦で、連合軍側に参戦した大日本帝
国は、海軍を派遣して南洋諸島(なんようしょとう)を占領した。

 ドイツ政府は南洋諸島を放棄し、日本の占領時代が始まった。

 南洋貿易本社では、倉本社長以下、この朗報に湧きかえった。

「事業拡大のチャンスだ!貿易以外にも、運送業、海産物、開墾、農産物の栽
培、鉱物採取に進出しようではないか」

「社長、任せてください」

 倉本が檄を飛ばすと、五十名の社員一同は、口々に闘志を滾らせた。

 その頃、南洋貿易サイパン支店では、今井と市川が事業方針を話し合ってい
た。

「今井君、サイパン近海の鰹は食い付きが悪いよ。この近海を調査したが、漁
獲量は微々たるもので、商売にはならないね」

「そうか、砂糖黍は規模を拡大して順調なのだが、肝心の鰹節製造が不振では
目算が狂ってしまうよ」

「申し訳ない、水産部門が売り上げの足を引っ張ってしまったね」

 と、市川が、頭を掻いて謝った。

「ところで、市川君、トラック島から海軍防衛総司令部(かいぐんぼうえいそ
うしれいぶ)の大前少佐が来てね、コプラを集めてほしい、と頼んできたのだ」

「コプラ?海軍がなんでコプラを必要とするのですか」

「さぁ、サイパン海軍司令部の結城(ゆうき)大尉と相談してほしいそうだ。
頼んだよ」

 と、今井は言うと、サイパンホテルに出かけた。

 ホテルの一室を、百合が居室として使用していた。

南洋貿易が、会社専属の医師として彼女を雇っていたのである。

「先生、ご機嫌いかがですか?」

「良くないわ、サイパン島の風土病の研究もあらかた終わってしまったし、東
京に帰ろうと思うの」

「いけません、先生がいなくなると、このサイパンから名医がいなくなります」

「でもね、親が早く結婚しろとうるさいのよ、わたしも三十を越えたからね」

 百合は、欝蒼と茂ったサゴヤシを眺めながら言った。

 けだるい暑さの中で、士気も次第に衰える。

「ホームシックに罹ったみたい!」

 と、百合が幽かに笑った。

「先生、わたしと結婚していただけませんか!」

「今井君と?あなたは好ましい人物だけど、わたしは医学の仕事を続けたいの。
良妻賢母にはなれないわ」

「それで結構です。わたしは先生のお仕事を尊敬しています」

 百合は、今井を見つめていたが、ゆっくりと答えた。

「しばらく考えさせてください」

 その時、蒸し暑い空気を冷ますように、スコールが襲ってきた。

「失礼します」

今井は立ち上がると、部屋を出て行った。

スコールは三十分ばかり続いて、からりと晴れ上がった。

 熱帯の強烈な太陽が、ココヤシやサゴヤシを照りつけた。

 海からの涼風が、百合の気力を復活させた。

「南洋と、わたしは相性が良い。南洋で風土病研究を極めてゆこう」

 百合は、今井との結婚を承諾することに決めた。

 そのころ、市川はガラパン市の海軍司令部を訪ねていた。

「南洋貿易の市川と申します。結城大尉殿に面会をお願いします。コプラの件
でお伺いしました」

「しばらくお待ち願います」

 警備兵は奥に入ると、しばらくして戻ってきた。

「お待たせしました、大尉殿はすぐお会い致します。どうぞ、こちらへ」

 警備兵が奥に案内すると、部屋では防暑服の将校がお茶を飲んでいた。

「おい、市川氏に、お茶を持って来てくれ」

 当番兵が、給事室から緑茶を持ってきた。

「どうも、わたしは海軍のココアが苦手でね、緑茶が好物なのだ」

「わたしもココアを飲むと、寝付けないのですよ」

 と、結城は頷いた。

「御多忙中、恐れ入るが、海軍防衛総司令部ではコプラを大量に買い付けたい
のだ。コプラでつくった石鹸は、海水でも泡立ちがよいので、海軍では必需品
なのだよ」

 と、話し始めた。

「コプラは、ココヤシの胚乳でつくります。ココヤシが多い島でないと、大量
に手に入りません。サイパン島よりもっと南の島でないと、大量のコプラは無
理ですね」

「なるほど、どこか適地はないかね?」

「ここから南に行ったポナペ島は、ココヤシが一番多い島です」

「ポナペ島、どんな島かね?」

 市川は、ポナペ島をかいつまんで説明した。

 ポナペ島は、北緯6度54分、東経158度14分のミクロネシア最大の島
である。

 面積は、330平方キロメートル、ほぼ円形の島である。

 熱帯雨林気候で、マングローブ、ココヤシが密生している。

 先住民は、カナカ人である。

ドイツ統治時代に、「ソケースの反乱」がおこり、住民たちはヤップ島に強
制移住させられた。

結城は一通りの説明を聞くと、

「ポナペの問題点は何かね?」

 と、尋ねた。

「最大の問題は、労務者が少ないことです。低賃金で働く労務者を確保しない
と、コプラ産業は成立しません」

「労務者か!台湾人や朝鮮人を使うのはどうかね?」

「名案ですが、うまく集まりますか?」

「なに、両方とも、わが帝国の植民地だ。強制的に徴用させればよい。最初は、
二百人でどうか?」

 結城が言うと、市川は躍りあがった。

「結構です、大尉殿、すぐご手配ください」

「わかった、では、ポナペに駆逐艦、海防艦を四隻派遣しよう。君も乗船した
まえ」

「はい、出港は10日後にお願いします」

 市川は支店に帰ると、今井に言った。

「コプラ取引の目途(めど)がたった、これで劣勢挽回だ!」

「良かったな、市川君。製糖業の方は軌道に乗ったよ。コプラが成功すれば、
南洋貿易は万、万歳だ!」

 今井は、嬉しさをこらえきれない顔を市川に向けた。

「君に報告がある、じつは香山先生と結婚することに決まった」

「えっ、香山先生と!サイパンのマドンナを奪われてしまったか」

 市川が茫然とすると、今井は足取り軽く部屋を出た。

 その夜、ガラパン市街のバーで失恋した市川が泥酔していた。

海軍の水兵の一団が、盛り上がっていると、

「うるさい!静かにしたまえ」

 と、市川が怒鳴った。

若い水兵たちが、立ち上がった。

「おい、時間だ、遅れると艦長殿に大目玉をくうぞ」

 水兵の一団が立ち去ると、市川は荒れだした。

「けっ、不甲斐無い奴らだ、あれでも帝国軍人か!」

 市川は、椅子やテーブルをひっくり返し始めた。

 カナカ人のボーイが止めに入ったが、市川は暴れるのを止めない。

 急を聞いて、今井が駆けつけ、自動車に乗せて支店に運んだ。

 支店では、前田支店長が待っていた。

「市川君、明朝、海軍司令部へ行ってくれたまえ、いいね」

「アイ、アイ、サー!」

 泥酔した市川は、勢いよく敬礼すると、意識を失った。

 

翌日、二日酔いのまま、市川は結城大尉を訪問した。

「マドンナを奪われたそうだね、御愁傷様。しかし、落ち込んでいる暇はない
ぞ。すぐポナペ出発の準備にかかってくれたまえ」

 結城大尉は、市川を駆逐艦潮風(しおかぜ)に案内した。

「副艦長の名和(なわ)中尉だ!君のポナペ島での活動を支援してくれる責任
者だ」

「お世話になります」

 市川が最敬礼すると、名和中尉は慰めてくれた。

「わたしの耳にも、マドンナ騒動が入ってきたが、市川君、忘れたまえ。ポナ
ペ島のコプラは素晴らしいぞ!」

「本当ですか?」

「本当だとも!ココヤシの果実を乾燥させてコプラをつくるが、品質が良いの
で石鹸以外にも用途が多い」

「どんなものに使えますか?」

「口外無用にしてもらいたいが、実は火薬なのだ。海軍は砲弾の火薬に、コプ
ラを混ぜて使用する予定だ。それは、燃焼性が高く、すべてのものを焼き尽く
す。それに、絞りかすは有機肥料や家畜の餌だよ。無駄なところが全くない。
これは有望だよ、商人にとってポナペは宝島ではないかね?」

「なるほど!商売の道が開けてきましたよ、感謝します」

 市川が元気になると、二人は励ました。

「ポナペだって、美人はいるぞ。元気を出せよ」

 潮風は、サイパン島を出発してポナペ島に向かった。

 太平洋を南下して7日目に、マングローブの生い茂った海岸が見えてきた。

 船団が島の南側に至ると、海岸に巨石建造物が見えた。

 市川が、驚いて尋ねた。

「あれはなんですか?」

「おお、あれはナン・マトール遺跡だよ、竜宮城のモデルといわれている遺跡
だ」

「えっ、浦島太郎のお伽話に出てくる竜宮城ですか?」

「そうだ、この遺跡は、13世紀か15世紀にかけてカナカ人がつくった。玄
武岩を加工して、92の人工島をつくっている。まるで、海上都市だよ」

「カナカ人が、そんな石造技術を持っていたのですか?」

「そうとしか思えないね、最大の宮殿であるナンタワシは、最後の王シャウテ
ィモイの墓といわれている」

「すごい技術ですね、どうしてナン・マトール文明が滅んでしまったのですか
?」

「それが分らない。しかし、現在のカナカ人には、その技術はないね」

 結城が説明している間に、潮風以下の船団は、コロニア港に入港した。

「さぁ、新世界だ!市川君、ここで生まれ変わりたまえ」

 上陸した部隊は、ポナペ島海軍司令部をつくった。

結城は、水兵たちを指揮して宿舎建設を始めた。

 一ヶ月後、二百人収容の宿舎が完成した。

「ココヤシを割って、果実の胚乳を乾燥させる。手間がかからないので、能率
が上がる仕事です」

 市川が言うと、結城は、

「まもなく台湾人と朝鮮人労務者が、百人ずつ送られてくる」

と、答えた。

「わたしは胸が高鳴りますよ、このポナペ島が宝島に代わるのですからね。ド
イツは、どうしてコプラ産業を育てなかったんでしょうか?」

「それは、原住民の反抗に手を焼いたからだよ。ドイツ人はカナカ人を強制労
働させた。有力者もお構いなしにね。1910年、ソケースでカナカ人が大反
乱を起こした。ドイツは、巡洋戦艦エムデンを派遣して鎮圧する始末さ」

「それで、カナカ人をヤップ島に移住させたのですか?」

「そうだ、連中はコプラの仕事はしないのだ」

「風土病に弱い朝鮮人が心配ですね」

「ここはマラリアが多い。キニーネが必需品だよ。たくさん仕入れてくれたま
え」

「わかりました。さっそく手配いたします」

 と、市川が請け負うと、結城は頷いた。

半月後、台湾人と朝鮮人の労務者を乗せた貨物船が、コロニア港に入港した。

 上陸した朝鮮人の現場監督は、市川を見つけると近づいてきた。

「わたしは朴大中(パクデジュン)です、よろしくお願いします。市川さん、
朝鮮人は日本人が約束通り賃金を払うか、心配しています。安心させるために
も、市川さんから約束してあげてください」

「わかりました。皆を広場に集めてください」

 朴が号令をかけると、二百人の労務者たちは広場に集合した。

「皆さん、ようこそ。わたしは南洋貿易ポナペ支店の市川です。コプラ作業は
単純な作業ですが、皆さんに日給一円を支払います。そこから食事代と家賃を
六十銭徴収します。残りの四十銭が手取りになります。まじめに働けば、月十
二円稼げます。しっかり貯めて家に仕送りしてください。なお、ここはマラリ
アが多い土地ですから、キニーネを準備しております。安心して働いてくださ
い」

 市川が話し終えると、朝鮮人や台湾人は安堵の溜息をついた。

「マンセイ!マンセイ!」

 と、叫びながら、労務者たちは、全員規律正しく行進して宿舎に入った。

 翌日からココヤシの収穫作業、コプラの乾燥作業が始まった。

 ココヤシの殻を割って、胚乳を取り出し、天日で干すという単純作業である
から、作業は順調に進んだ。

二か月が過ぎると、単調な暮らしに、労務者たちは退屈し始めた。

朝鮮人と台湾人たちが、ささいなことで喧嘩を始めた。

「台湾人、なまくら、賃金泥棒!」

 と、朝鮮人が罵ると、

「朝鮮人、こすっからい、ずる人間!」

 と、台湾人が反撃する。

 両者の騒動は酒が入ると、毎晩発生した。

 騒動の調停に手を焼いた市川が、結城大尉に相談すると、

「あっ、はっ、はっ、さすがの市川君も、困っているようだね。独身の君には
分らないだろうが、男が集まると欲しがるものは、酒と女と賭博だ」

と、忠告された。

「酒と女と賭博ですか!女と賭博は、どこで手にはいるのですか?」

「シンガポールの山岡組(やまおかぐみ)に連絡すれば、賭博師と『からゆき』
を連れてくるさ」

「山岡組?ヤクザを使って、大丈夫ですか?」

「山岡とは、シンガポール領事館に赴任以来の知り合いだ。親分に話をつけて
やるよ」

「お願いします」

 市川が依頼してから10日後、麻背広のいなせな若者が、市川を訪ねてきた。

「お初にお目にかかります、山岡組の三下で、吉田直吉(よしだなおきち)と
申します。当地で、賭場と女郎屋を開いてほしい御意向と、うかがいましたが」

「はい、当地では、コプラ作業に労務者を二百人雇用しています。しかし、娯
楽のない生活で、喧嘩沙汰ばかりです。そこで、窮余の一策に、賭場開帳をお
願いしたわけです」

「相わかりました。すぐさま戻りまして手配いたします」

 吉田は用件をすますと、シンガポールへ戻っていった。

 二ヶ月後、コロニア港に二十人の「からゆき」と五人の賭博師が上陸した。

 かれらは海軍司令部に出頭し、結城大尉から治安上の指示を受けた。

「よいか、刃傷沙汰は許さぬ。金儲けは自由だ。女郎の管理は厳格にせよ」

「相わかりました。お手数を煩わせは致しません」

 と、吉田は神妙に答えた。

 山岡組が商売を始めると、賭場や女郎屋は大繁盛した。

 トラブルが減ったので、市川の労務者管理は順調に進んでいった。

 コプラの出荷も次第に増加し、南洋貿易の利益が上がり始めたころ、トラッ
ク島の海軍防衛総司令部から大前少佐が訪ねてきた。

「市川君、失恋の痛手から立ち直ったようだね」

「今は、恋より金ですよ」

「はっ、はっ、はっ、まるで貫一・お宮の貫一だね。ところで、ポナペの貫一
君に頼みがあって来たのだ」

「なんでしょうか?自分にできることなら、お受けいたします」

「大ありだよ、じつはココヤシの殻はどうしているのかね?」

「焼却場で燃やしておりますが」

「それで木炭を作れんか?」

 と、大前は言うと、用途を説明した。

「海軍では、防毒マスクが必要だ。有毒ガスが艦内に充満すると、戦争になら
んからね。どうも、既成品は炭の質が良くない。毒ガスの吸収力の良い炭が欲
しいのだ」

「さっそく内地から職人を呼んで、炭を焼いてみましょう」

「頼んだよ。至急取り掛かってくれたまえ」

 と、命じて、大前は帰った。

 市川は、本社に電報を打って、炭焼き職人を手配した。

 紀州の備長炭の職人たちが、数名派遣されて来た。

 かれらは、ポナペ島で炭焼きを始めた。

「できました!この炭なら防毒マスクに使えますよ」

 と、親方が、完成した炭を市川に差し出した。

 市川は、トラック島に見本の炭を送った。

「採用する、どんどん送ってくれ」

 との、大前からの電報を見て、市川は狂喜した。

「材料は無限にある。親方、どんどん焼いてくれ」

 南洋貿易ポナペ支店の業績は、飛躍的に拡大していった。

「市川君も、なかなかやるな!今年はボーナスをはずんでやらないかん」

 倉本社長が言うと、岡本専務は、

「ボーナスより、花嫁が先ですよ」

 と、助言した。

「もっともだ!」

 社内は、同意の笑い声に包まれた。

「そうか、今度本社に戻ったら、わたしの遠縁の娘と見合いさせよう。任せた
まえ」

 と、倉本が太鼓判を推した。