フィジー諸島は、南太平洋のメラネシアに位置し、322の島々から成り立
っている。

この地に日本人の移住が始まったのは、1918年(大正7年)で、7名が
移住した。

 1920年(大正9年)になると、日本人は70名ほどに増えた。

その中で、和歌山県人はほとんどが漁業に従事した。

 フィジー諸島の首都スバでは、潮岬村出身の平田新六(ひらたしんろく)が
平田商会を経営し、中国にナマコと高瀬貝を輸出した。

ナマコは中華料理の高級食材で、高瀬貝は貝ボタンの材料である。

どちらも高く売れたので、平田商会の主力商品であった。

 串本町田並村(たなみむら)出身の友野亀太郎(とものかめたろう)がフィ
ジー島を訪れたのは、父鶴吉(つるきち)のマグロ延縄業(はえなわぎょう)
の残務整理のためである。

 鶴吉はフィジー近海でマグロ延縄を手広くやっていたが、漁獲高の減少の
ため廃業した。亀太郎はその残務整理のため、やってきたのである。

「平田さん、鶴吉の息子の亀太郎です。親父がえらい迷惑をかけてしもうて、
すみません
でした」

 と、亀太郎が新六に謝ると、

「いやいや、迷惑でないよ。鶴吉さんの借財は、多くないはずや。船や漁具
を売れば
おつりがくるのとちがうかえ?」

 と、新六が答えた。

「ほんまですか?平田さん、ぜひ斡旋をお願いします」

「いいとも、うちは漁業をやらんから、バンス・フィリップ(B・P)社に
話を持って行
くよ」

 と、B・P元社員の新六が言うと、亀太郎は安堵した。

「安心したら、喉が渇いてきた、ビールをください」

「よしきた、歓迎の乾杯といこう」

 ふたりは、ギネスビールの栓を開けると、ラッパ飲みして乾杯した。

「平田さん、わたしは親父の尻ぬぐいが終わったら、ここに腰を落ち着けま
すよ」

「それなら、友野君。まず言葉を覚えないかんよ」

と、新六が言った。

 新六の斡旋で、B・P社は漁船や漁具をすべて引き取ってくれた。

売却代金を借財返済に充てると、100ポンド以上の余剰金(よじょうきん)
が出た。

「100ポンドばかり手元に残りました。平田さんのおかげです」

「友野君、君はそれをどう使うのかね?」

「学校に通う資金にしたいのです」

「そうか、それは立派だ!君は見どころがある。うちで雇ってあげるから、夜
学に通いたまえ」

「有難うございます!この御恩は忘れません」

 と、亀太郎が喜ぶと、新六は、

「気張って平田商会を越える会社をつくれよ」

 と、激励した。

 この励ましが、後に現実になるとは、新六も夢にも思わなかったであろう。

 亀太郎は、地元の「ルカス学院」に通いだした。

「友野君、勉強は捗っているかい?」

 と、新六が尋ねると、

「はい、商業英語と商業簿記をイギリス人のジョンストン先生に習っています」

 と、亀太郎が答えた。

「それは結構だ。英語と簿記は商売人には不可欠だ。でもな、それだけでは大
成せんよ。世界の物産、地理、文化、経済の仕組みを学ばねば、人より上には
ゆけん」

 と、新六が忠告すると、頭脳明晰の亀太郎は、即座に理解した。

「つまり、教養を深めて上流階級の人と交際できる人物にならなあかん、とい
うことですか?」

「そうや、君はさすがに分かっているな」

 と、新六は、亀太郎を見直した。

 亀太郎は図書館から書物を借りだすと、ポリネシア、メラネシア、ミクロネ
シアの歴史、地理、産物の勉強を始めた。

1923年(大正12年)、亀太郎は「ルスカ学院」を卒業した。

「おめでとう、カメ。君ほど勉強した学生は見たことがない。卒業後の進路は
決まっているのかね?」

「はい、じつはトンガに行って貿易を始めたいのです」

「トンガか!トンガ王国書記官長のハミルトンとは親友だ。紹介状を書いてあ
げよう」

 と、ジョンストンが言うと、亀太郎は飛び上がって喜んだ。

「有難うございます、先生。これで、希望が湧いてきました」

「グッドラック!カメ。成功を祈っているよ」

 ジョンストンの紹介状は、亀太郎にとって魔法の杖となった。

 トンガ王国はフィジーの東にあり、172の島々から成り立っている。

 オセアニアでは、ポリネシア圏に属しており、ポリネシア人が人口の98%
を占めている。

 気候は高温多湿で、植生はココヤシやバナナが中心である。

 王国の首都ヌクアロファは、トンガタブ島に置かれており、サローテ・ツポ
ウ女王が統治していた。

 トンガ王国が、イギリス保護領になったのは、1900年(明治33年)で
ある。

ポリネシアで唯一、欧米の植民地にならなかったが、この当時は政治・経済
の実権はイギリス人が握っていた。

 友野は、トンガタブ島に到着すると、トンガ王国政府書記官長ハミルトンを
訪ねた。

 ジョンストンの紹介状を差し出すと、ハミルトンは愛想良く応対した。

「ジョンストン君の手紙では、君は優秀なビジネスマンの素質があるそうだ。
トンガで何を商いたいのかね?」

「コプラです、ハミルトン閣下。コプラは帝国海軍が大量に買ってくれるので
す。トンガタブ島以外の島々のコプラを、独占契約できませんか?」

「ほう、コプラがそんなに儲かるのかね?」

「日本では、火薬、石鹸、油脂、食材、化粧品などいろんな用途がございます」

「では、貴君の要請を許可しよう。ただし、コミッション料は10%だ!トン
ガ銀行の私の口座に振り込んでくれたまえ」

 と、ハミルトンが言うと、友野は握手で応じた。

「感謝します、ハミルトン閣下」

「そう、そう、一週間後、女王陛下の歓迎パーティがある。そこに貴君を招待
しよう」

 と、ハミルトンは、笑顔で言った。

「陛下へのお土産は、何が良いでしょうか?」

「女王陛下は、シルクのイブニングドレスの愛好者だ。皇太子は、自転車に興
味を持っているよ」

「相わかりました!さっそく手配いたします」

 と、友野が答えると、ハミルトンは、

「第一印象が、すべてだよ」

 と、忠告した。

 女王主催のパーティは、王宮の中庭で開かれた。

 中庭は広大で、涼しい風が吹いていた。

緑の芝生の上にカーペットがしかれ、豚の丸焼やタロイモのトンガ料理が並
べられた。

 トンガの大太鼓が強烈に打ち鳴らされた。

若い娘たちのポリネシアンダンスが披露されたあと、カバ酒で乾杯が行われ
た。

 ハミルトンは友野を伴って、サローテ女王に拝謁した。

「陛下、遠く日本よりビジネスマンが、わが王国に参りました。御紹介致しま
す、友野商会社長友野亀太郎氏です」

「ハウ、ドゥ、ユー、ドゥ。アイ、アム、カメタロウトモノ、プレジデント、
オブ、トモノカンパニー」

 と、友野が自己紹介すると、小柄だが貴族的な気品に満ちた女王は、笑顔で
答えた。

「ウエルカム、ミスター、トモノ。ホエアー、ドゥ、ユー、ラーン、イングリ
シュ?」

「アイ、ラーン、イングリッシュ、プロフェッサージョンストン、オブ、ルカ
ススクール」

「オウ、プロフェッサージョンストン!ヒー、ワズ、マイ、イングリシュ、テ
ィーチャー、ロングアゴウ」

 女王は、共通の話題を見つけると、ジョンストンの近況を尋ねた。

 友野は元気でいることを伝え、日本の土産を贈呈した。

「オウ、シルク!サンキュウ、ベリーマッチ、グッド、ギフト」

 女王は喜んで、イブニングドレスを受け取った。

 友野は間髪を入れず、皇太子に自転車をプレゼントした。

「殿下、最新式の自転車です。どうかお納めください」

「有難う、貴君の御好意に感謝する。さっそく、乗っても良いかな」

 と、皇太子は自転車に乗った。

両手を離して中庭を一周すると、招待客が、その妙技に拍手を送った。

皇太子は、御満悦の表情で席に戻った。

 すると、その隣にいたポリネシア美女が友野に近づいてきた。

「ミスター友野、わたしへのプレゼントは忘れたのですか?」

 と、少し不機嫌に尋ねた。

「ご用意しております、サラ王女殿下。我が国が誇るサフランの香水とお酒で
す。サフラン酒は、万病に効くといわれています。ぜひお試しください」

 と、友野が香水と酒の瓶を進呈した。

サラ王女は喜んで、

「有難う!あなたは、とても配慮に満ちた紳士です」

 と、機嫌を直した。

 ハミルトン書記官長が、すかさず提案した。

「陛下、友野カンパニーは、コプラを所望しております。王国のコプラの一部
をお分け与えくださいませんか?」

「いいでしょう、ニュータブタブ島のコプラを与えましょう。ジェームス・ツ
ポウ酋長に命じましょう」

 サローテ女王は、ジェームス・ツポウ酋長を招くと、

「友野カンパニーに、あなたの島のコプラを独占させなさい。ミスター友野は
あなたにとって、将来役立つ人物ですよ」

と、命じた。

「相わかりました、陛下。仰せの通りに致します」

 巨漢のジェームス・ツポウは、友野に近寄ると、

「歓迎する、ミスター友野!」

 と、抱き上げた。

 

友野がトンガ王国に居住して、二年の月日が流れた。

 友野商会は、日本から繊維、自転車、陶器、セメント、薬品を輸入し、コプ
ラを輸出していた。

 対日貿易は黒字で、友野商会は五隻の機帆船で、トンガ王国の島々に日用品
を運んだ。

 友野のビジネスは大成功し、それまでトンガ王国の経済界を牛耳っていたイ
ギリス系の商社を駆逐しだした。

「書記官長、貴官の友野カンパニーへの肩入れは、度が過ぎているではないか。
我が輩は、強く抗議する」

 と、デッケンズ社のコナリー支配人が、鬚を震わせて抗議すると、ハミルト
ンは悠然と反論した。

「それは誤解ですよ。友野は王族に信頼されている。ロイヤルファミリーが肩
入れしていては、とても勝負になりません」

「それは、どなたでしょうか?」

「サラ王女ですよ、コナリー支配人。友野の送ったサフラン酒で、王女の病気
が快復したとかで、とにかく友野をいつもそばに置いている状態です」

「なるほど!ならば、われわれはジョージ皇太子に食い込むとするか」

 と、コナリーは決意を新たにして、ライバルを攻略することにした。