1928年(昭和3年)、ニュータブタブ島の酋長ジェームス・ツポウが、
友野商会を訪ねてきた。

「カメ、今日はお願いがあってきたのだ。カメは船を五隻も所有して景気が良
い。わたしも、カメを見習って交易したい。船を一隻建造したいのだ。協力し
てくれないか」

「それは、良いアイデアですね。わたしも、協力は惜しまないつもりですが、
どれくらいの船を御所望ですか?」

「どうせつくるなら、トンガ王国一の船にしたいのだよ」

「他ならぬジェームス・ツポウ酋長の依頼であれば、全力を尽くします」

 と、友野が請け負うと、ジェームスは意気揚々と引き揚げた。

「船代金の支払いは、大丈夫ですか?」

 と、弟の小島喜代造(こじまきよぞう)が心配した。

友野は、

「王族だから、支払いは王国政府がするだろう」

と、気軽に答えた。

 友野は、さっそく故郷田並村村長尾野信一(おのしんいち)に手紙を書いて、
新造船建造を依頼した。

 田並村役場では、この壮挙に湧きかえった。

「なんと、亀さんは出世したものじゃ!トンガ王国から船の建造を依頼される
とは、偉くなったのう」

「国王いうたら、天皇様と同じかえ?」

「そうじゃ、なんとも亀さんは、国王の側近じゃそうな」

 と、しばらくは、村中がこの話題でもちきりとなった。

 興奮冷めやらなかった尾野村長も、冷静になってみると、依頼の困難さに困
惑した。 

「誰に建造を頼めばええのか?変な船を造ったら失礼やし」

「大岡(おおおか)船長はどうですか?本村の出身で外国航路の船長を勤めた
さかい、船には詳しかろうと思いますが」

 と、助役が進言すると、尾野は納得した。

「そうや、大岡さんがいた。これは適材適所や!さっそく連絡してくれんか」

 尾野が抜擢した大岡健介は、高等商船学校を卒業すると、外国航路で活躍し、
先ほど退職したばかりであった。

 連絡を受けた大岡は、一も二も無く引き受けた。

「なに、トンガ王国が船を建造つくるのか?ついでに、トンガまで回航するの
か、分かった!この大岡、一世一代の大仕事じゃ、喜んでお引受けいたす」

 海への郷愁冷めやらぬ大岡は、脾肉の嘆(ひにくのたん)をかこっていたの
である。

 大岡は大阪に行き、大川造船所に建造を依頼した。

「それは、壮挙ですね。不肖大川、どこにも負けない立派な船をつくって見せ
ましょう」

 と、大川社長は、太鼓判を押した。

 新造船はエンジンと帆走両用で75トン、二本マストに百馬力のエンジンを
備えていた。

 白ペンキで塗装した船体は、貴婦人のようにスマートであった。

一年後、総工費5万円で船は完成した。

トンガ丸と命名され、和歌山県西牟婁郡串本町袋(ふくろ)港に回航された。

 この回航を聞きつけた「大阪朝日新聞」は、紀伊版で以下のごとき報道を行
った。

 お伽の国、トンガ島へ七十五頓の帆船で、太平洋を乗り切る紀州人の肝
ったまに驚嘆

―トンガ丸の大冒険

 船長の大岡は、この航海はチームワークが大事だ、と知っていた。

「村長、乗組員は気心の知ったものを使いたいので、人選を任せてほしい」

「ええとも、好きにしてくれて結構や」

 尾野の承諾を得た大岡は、機関長に浜田成十郎(はまだせいじゅうろう)、
機関員に浜田三十郎(はまださんじゅうろう)、平田健一(ひらたけんいち)、
甲板員に梶良助(かじりょうすけ)以下五名のメンバーを選んだ。

いずれも、顔見知りの「つわもの」ぞろいである。

 7月4日、袋港を出港したトンガ丸は、13日小笠原諸島、25日カロリン
諸島、8月25日フィジー島スバ港に到着した。

「友野社長、トンガ丸がフィジー島スバについた、と電報です」

「おお、無事やったか!あまり遅いので遭難したか、と案じていたが、よかっ
た、よかった」

 と、友野は安堵して、電報を握りしめた。

 トンガ丸が、トンガタブ島に入港したのは、出港以来66日目であった。

「無事でよかったよ、心配したで!」

 と、友野がトンガ丸に駆け寄ると、大岡は満面の笑みで答えた。

「トンガ丸、太平洋を縦断し、ついにトンガ王国に到着せり!」

「おめでとう、ようやった、ようやった!」

 友野が乗組員一人一人と握手すると、最後の男が照れくさそうに手を出した。

「あっ、おやじやないか!どうしたんなら?」

 と、友野が驚いて尋ねた。

真黒に日焼けした鶴吉は、

「しんぼうできんと、来てしもうた。トンガの様子を知りたくてな」

 と、答えた。

「自分の年を考えや、皆の足手まといやないか」

 と、友野が呆れて叱責すると、大岡は、

「いいや、鶴吉さんのお蔭でここまでこれたんや、叱らんといてくれ」

 と、援護した。

島では入港を、祝砲を撃って歓迎した。

 ニュータブタブ島酋長ジェームス・ツポウは大喜びで、歓迎の宴会を連日開
いた。

 しかし、この間にデッケンズ社のコナリー支配人は、皇太子ジョージ・ツポ
ウに面会して対策を練っていた。

「殿下、トンガ丸が日本より到着いたしました。御存じでしょうか?」

「おお、知っているとも。太平洋を機帆船で乗り切ってきたとは、日本人は勇
気があるな」

「しかし、この船の建造は、王族会議で許可を受けているでしょうか?」

「いいや、知らぬ。王国が船を注文したのではないのだ。ニュータブタブ島の
ジェームス酋長が、勝手に注文したのであろう」

「ならば、ハミルトン書記官長に命じて、引き取れぬ、と通告してください」

「勿論だとも!ハミルトンも断れまい」

 ジョージ皇太子は、ハミルトンを呼びだした。

「書記官長、トンガ丸の件を知っていたのか?」

「いいえ、知りませんでした。ニュータブタブ島酋長と友野商会が注文した案
件ですが、それがどうかしましたか?」

「じつは、トンガ王国が注文した、と噂が流れている。貴官から否定の布令を
だしたまえ」

「わかりました、さっそく大岡船長に通告致します」

 ハミルトンは大岡を訪ねると、船は受け取れぬ、と伝えた。

 これを聞いた大岡は、慌てて友野に尋ねた。

「船は、トンガ王国の注文ではなかったのか?」

「ニュータブタブ島のジェームス・ツポウ酋長の注文ですが、建造費は王国が
負担することになっています」

「しかし、書記官長が受け取りを断ってきたが、どうなっている?」

「それはおかしいですね、さっそくジェームス酋長に当たってみます」

 友野がジェームス酋長に確認すると、

「女王陛下の承諾を得ていないが、心配するな!」

 との、返事であった。

 しかし、期待に反して、トンガ王国は受け取りを拒否した。

「五万円もした船や、どうしてくれる!」

 と、大岡が抗議すると、友野も困惑した。

「ハミルトン書記官長が、コミッション料の値上げを要求したので断ったとこ
ろ、へそを曲げられました。説得しますから、しばらくご辛抱下さい」

「船は、日本に持って帰れない。ぜひとも話をまとめてくれ」

 大岡の抗議に、友野は慌てて、書記官長に面会を求めた。

 ハミルトンは、友野に冷たく言い放った。

「トンガ丸を持って帰ってください。トンガ王国はビタ一文だせない!」

「閣下、それは殺生ですよ!太平洋を戻るのは大変です。建造費に五万円かか
っております。お願いです、王国政府の資金で何とかして下さい」

「友野社長、これは皇太子殿下の御意向ですよ。私の力では、どうにもなりま
せん」

 と、ハミルトンはにべなく断った。 

ハミルトンに断られた友野は、ジェームス・ツポウ酋長の屋形を訪ねた。

「ジェームス酋長、万事休すです。なんとかなりませんか」

「うむ、皇太子め、嫌がらせをしてきたな。そうだ、友野、君が買い取ってあ
げればよい。そうすれば、トンガ丸も浮かばれよう」

 ジェームス酋長の提案に、友野は苦虫を噛み潰した。

「やむをえません、うちで引き取りましょう」

 と、友野は決断すると、大岡船長にトンガ丸の操船を頼んだ。

「いいとも!しばらく操船を引き受けて、乗組員を訓練してあげよう」

「有難うございます、トンガ丸はフィジーやサモア交易に使いますよ」

 友野商会の商品をトンガ丸に積んで、フィジーやサモアに行くと、乗組員は
大歓迎を受けた。

「太平洋を渡ってきたトンガ丸は、とても素晴らしい。われらの祖先がハワイ
へ渡ったのと同じ壮挙だ」

「大岡船長、トンガ王国の嫌がらせに、負けてはいかん」

「お前たちは、太平洋の英雄だ!」

 友野商会の交易量が上昇すると、コナリー支配人はハミルトン書記官長に抗
義した。

「書記官長、かれらに退去命令を出してください。滞在許可を取っていない不
法移民ではありませんか」

「わかった、通告しよう」

 ハミルトンは、大岡船長を呼び出すと、

「遺憾ながら、あなたがたの滞在は認められない。10日以内に退去しなさい」

 と、通告した。

 大岡は、驚いて反論した。

「それは話が違う。わたしは日本に帰るが、乗組員はトンガに骨を埋めるつも
りできたのだ」

「わたしの知ったことではない」

 ハミルトンの通告を受けた乗組員たちは、抗議の声を上げたが、事情は変わ
らずフィジー島スバに移住させられた。

 平田商会の平田新六は、事情を聞いて気の毒がった。

しかし、国外退去の決定は覆らず、けっきょく全員帰国することになった。

 田並村では、尾野村長が一行を歓迎してくれた。

「いずれにしても、日本人の勇気を世界に示したのじゃ。立派、立派!」

 尾野の激励に、乗組員一同苦笑しながら、苦いビールを飲み干した。