大下英一郎(おおしたえいいちろう)は、南洋貿易株式会社後藤社長からパラ
オ支店長を言い渡された。

「大下君、君はパラオでよく頑張ってくれた。南貿にとって、君の活躍は貢献
度大である。君を支店長に任命するから、必ず南洋興発を追い抜いてください」

「有難うございます。国に支援された南洋興発などに、負けません」

 大下支店長は、医者志望で「代疹」ができるまでになったが、医者にはなれ
ず、ついにパラオ島に渡航した。

 パラオで医者のまねごとを続け、先住民から「ドクター大下」と尊敬された。

 大下は現地語を覚えると、先住民たちの治療にあたり、おおいに実績を積み
重ねた。

 その活動ぶりに注目していた「南貿」は、大下を商品の販売員として雇用し
た。

 大下は驚異的な販売業績を上げ、ついに支店ナンバーワンとなった。

この努力家を、後藤はパラオ支店長に抜擢したのである。

「大下支店長、おめでとうございます!」

 と、パラオ島酋長タガログアが大下を訪ねてきた。

「おお、大酋長、ありがとうございます」

「ついては、あなたの栄達をお祝いしたいが、贈り物を受け取っていただける
か?」

「大酋長の贈り物なら、喜んでいただきましょう」

「では、わが娘ビリアを与えよう」

「えっ、『パラオ小町』の異名をとる、ビリアさんを嫁に下さるのですか?」

「そうとも、異存はなかろうな?」

「喜んで、いただきましょう」

「良かった!君は今日からわが息子だ」

 と、酋長は、御満悦で帰った。

 当時のパラオでは、日本人教師による日本語教育が盛んであった。

しかし、先住民と婚姻を結ぶことは、日本人社会から嫌われていた。

 とくに富裕層は、結婚相手を「内地」から選んでいた。

 一方、先住民は同族結婚の弊害を避けるため、日本人との結婚を願っていた。

 タガログア酋長の要請も、その影響である。

 大下は、パラオに永住する決意であったので、それを受け入れた。

「支店長、いいのですか。出世に差しさわりがでませんか?」

 小田(おだ)部長が忠告すると、大下は、

「いいのだ、僕は君のように、東大卒のエリートではないからね。社内の出世
は考えていないよ」

 と、答えた。

 当時の南洋貿易は、入社するのが至難の技で、競争率は80倍に達したとい
う。

 小学校卒の大下にとって、社内の出世は望み薄だったのである。

 

大下はできる限り、先住民との融和を図り、その生活水準、教育水準を高め
ようとしていた。

 大下にとって、パラオは「南海の楽園」に思えたのである。

「小田君、パイナップル工場は順調かね?」

「ええ、パイナップルは、内地やアメリカに輸出していますが、飛ぶような売
れ行きです」

「結構だ!鳩肉缶詰はどうか?」

「これは肉に臭みがあるので、売行きはもう一つです」

「ふむ、臭みを消す手立てがいるね」

「研究します」

 と、小田が引き下がると、大下は卓上の娘の写真に見入った。

「英子(えいこ)、わたしはお前を、立派な日本人に育てるからね」

 大下は長女の写真をしまうと、本通りを歩いて帰宅した。

 本通りは、アーケードが架けられていて、雨でも濡れずに買い物ができるよ
うになっていた。

 住宅街の両側には、マンゴーとサゴヤシが植えられ、中央道路はアスファル
トで舗装されていた。

 海からの風にそよぐマンゴーやヤシの葉ずれは、ここが楽園であることを物
語っていた。

「おとうさん、お帰りなさい。今日は友達にパラオ語を習ったよ」

 と、英子が報告すると、大下は激しく叱った。

「いいか、英子。おまえは日本人だ!パラオ人じゃない。二度とパラオ語を習
ってはいけない」

「御免なさい、もう習いません。しかし、おじいちゃんと、もっとお話しした
いのです」

 と、英子が言い訳すると、

「馬鹿者!おじいちゃんとも日本語で話しなさい」

 大下の見幕に、英子は泣きだした。

「あなた、こどもに強制してもだめですよ」

 と、ビリアがとりなしたが、大下は英子に言い渡した。

「女学校は、東京の女学校に進学するんだ。それ以外は許さん、分かったか!」

 英子が頷くと、大下は機嫌を直した。

 大下のように現地に同化した人間でも、日本文化の優越性は捨てられなかっ
たのである。

 

1939年(昭和14年)、小田は「南貿」で貿易業務の責任者になった。

当時は、8000トンクラスの日本郵船の貨物船による、横浜・南洋間の貿
易業務が盛んであった。

 日本郵船の代理店として、小田は荷物の保険業務に携わっていた。

 小田が扱った荷物は、米、味噌、醤油、日用品、冷蔵庫などで、数百トンの
小船でパラオから各島に運んでいた。

 とくに好評だったのは、「カニヤ」の乾パンで、マーシャル群島では先住民
たちが争って購入した。

 船が港に到着すると、「カニヤ」の乾パンを求めて先住民が集まってくる。

先住民たちは、乾パンとヤシの実を交換した。

「ヤシの実10個と乾パン百枚と交換してほしい」

かれらは、貨幣を持たなかったので、物々交換である。

「これでは、先住民のためにはなりませんね。半分は現金で半分は物資で支払
いましょう」

 と、小田は、代金の支払いを変えていった。

「おまえは、良い日本人だ。ずるくない、立派な日本人だ」

 と、先住民は、小田を評価した。

「有難うございます、わたしはマーシャル島の発展を願っておるのです」

 すると、喜んだマーシャル群島の酋長は、娘を連れて来て言った。

「おまえは、良い日本人だ、お礼に娘を差し上げよう」

 小田は慌てて、この申し出を断った。

「いいえ、わたしには妻がおります。日本では、妻がふたり持てない決まりで
す」

「それは、残念だ!」

 酋長は、娘を連れて集落に戻っていった。

 

大下は、南洋庁に北野長官を訪ねた。

 南洋庁は、コロール島に置かれていた。

二階建ての木造建築で、白ペンキで塗装されたコロニアル風の建物である。

 ここが南洋統治の中心地であり、付近には長官官舎、パラオ熱帯生物研究所、
御木本真珠養殖場、木工所、コプラ製造所などの施設が集中していた。

「おお、大下支店長、本日はいかなる御用ですか?」

 北野は、愛想良く答えた。

「じつは、長女を日本の女学校に留学させたいのです。ついては書類を準備し
てほしいのです」

「わかりました、すぐ準備させましょう。出発はいつですか?」

「三月に、行かせようと思っています。龍田丸(たったまる)に乗船させたい
のでよろしく」

「ならば、ちょうどよかった。中島敦(なかじまあつし)君が帰京します。か
れに面倒を見てもらいましょう」

「おお、中島先生と御一緒できるとは、娘も幸せです」

「中島君は、教育関係の仕事に従事していましたが、作家活動に専念するそう
ですよ」

「娘も中島先生と知り合いになれば、向こうに行っても心丈夫です」

 大下が言うと、北野も頷いた。

 3月になると、英子は龍田丸で東京に向かった。

 10日の航海で、龍田丸は横浜港に入港した。

 3月とはいえ、熱帯と気候が違っているので、英子は寒くてたまらなかった。

「寒い、寒い、日本は、いつもこんなに寒いのですか?」

「そうだよ、日本語ができるあなたなら、すぐ慣れますよ。しばらく不自由だ
けどね」

「寒さを防ぐには、どうしたらよいのですか?」

「こたつや湯たんぽ、懐炉(かいろ)を持てば良い」

「懐炉?それは何ですか?」

 英子が、びっくりしていると、

「携帯保温器だよ、すぐ買って使いたまえ」

 と、中島は教えてくれた。

中島は、迎えの車に英子を乗せて、下宿先に送ってくれた。

「それでは、僕は帰るよ、実に良い旅だった。しっかり勉強したまえ」

 中島が帰ると、英子はさびしくなって泣いた。

 しかし、以後の日本での生活は、予想以上に苦難の連続であった。

 物資の不足が、予想以上であった。

「パラオに帰りたい、日本での生活はとても不便です」

 英子の訴えに、大下は叱責で応じた。

「立派な帝国臣民になるための試練だ。我慢しなさい」