・「潮崎本ノ宮のビャクシン」


  田嶋 威男先生の「串本町のあゆみ」は、串本の歴史を編年体でまとめ
 た名著である。そこに、串本の地名の由来を紹介されているが、一説に奇
 しなる木の本にあるから、串本の地名が生じたと、ある。この奇しなる木
 に該当するのが、境内にある大ビャクシンである。確かに、地名伝説が生
 じるだけあって、高さ19m余り、幹の周囲は10mあまりもあり、12
 00年前に植えられたと推定されている巨木である。「台風銀座」の串本
 町にあって、長寿を保った樹形は厳かさを感じさせ、神の宿り木という信
 仰を産むに十分な風格を漂わせている。
  しかしながら、この木を串本の地名の由来とするのは当たらない。串は
 奇しではなく、朝鮮語の串(カン)から由来するのである。ちなみに、朝
 鮮半島の地図を開くと、北朝鮮の西海岸に長山串(チャンザンカン)とい
 う岬がある。串は古代はコシと呼んだ。コシ→クシに転音し、串の漢字を
 当てたのである。例えば、伊串、小串、串地などは飛び出た地形が共通だ
 が、奇しなる樹木はないのである。
  串本っ子が、郷土の産土神の潮崎本ノ宮の神木を崇敬し、自慢するには
 、賛成である。ビャクシンの大木としては、全国的にも負けず劣らずでは
 ないだろうか。



・「三尾川光泉寺の子授けイチョウ」


  光泉寺のイチョウは高さ30m、幹周り6m、イチョウとしては和歌山
 県下一の大きさを誇っている。このイチョウの姿形は、他に例が少ない異
 様さである。木の枝から乳房のようなコブが何本も垂れ下がり、それが子
 供の出来ないひとが、願かけすれば願いが叶うという信仰になった。誰と
 もなく「子授け銀杏」と呼び習わすようになった。
  幹にしめ縄を巻き、ウコン色に輝く姿は、天下の横綱の品格を放ってお
 り、神々しい限りだ。もっとも、大相撲の横綱の一人は、品格うんぬんを
 いわれており、横綱全てが品格ありとはいえないが……



・「野中の一方杉」


  熊野古道・中辺路を辿り、継桜王子に至ると、一方杉と呼ばれる杉の巨
 木に迎えられる。幹周り8m、高さ40mに及ぶ巨木群は、その下方に湧
 き出た清水とともに熊野道者の旅の疲れを癒して来た。この巨木群は不思
 議なことに、枝を南に伸ばしている。枝は南に位置する那智山を向いてい
 るそうだ。「一方杉」と呼ばれるゆえんである。
  明治42年(1909年)に、継桜王子(若一王子権現)は近露の近野
 神社に合祀されることになった。そこで、境内の巨木を切り、村の運営費
 用に充てようとする動きがあった。それは、野中村にとって苦肉の策であ
 ったが、これに猛然と反対したのが南方 熊楠である。彼は神社合祀反対
 運動を展開していたが,政治家、宗教家、学会を水面下で味方につけ、
 伐採阻止に動いた。
  かくして、新聞紙上で罵倒を浴びた有力者たちは伐採を断念し、巨木は
 生き残った。エコロジスト熊楠の面目躍如たるものがあるが、先覚者の努
 力が救済した神木である。伐採推進派の面々に神罰がくだらなかったのは
 、ご同慶の至りである。



・「渚の森の楠」


  那智勝浦町浜の宮には、かつて渚の森と呼ばれる楠の群落があった。今
 は、数本が散在しているにすぎない。そのなかでも、一本の幹から二本に
 枝分かれした巨木は、推定樹齢800年の神木である。
  和歌山県がかつて木の国と呼ばれ重視されたのは、楠が船材として活用
 されたからである。山野河海が複雑に入り混じった国土において、物資の
 運搬や人の往来に船が果たした役割はとてつもなく大きかった。普通、木
 といえば楠を意味したのである。その楠が群生している渚の森が、聖地と
 して重視されたのは当然であろう。楠の葉には防虫作用があり、古代には
 邪悪を追い払うと信じられていた。したがって、この森はアジール(聖地
 )として、神々の居住区だった。日本書紀に熊野楠日命がでてくるが、こ
 の楠を神格化したものである。
  古代の聖地が、中世には補陀洛渡海の出発地となった。この世と観音浄
 土を結ぶ渡海に旅立った上人たちを見送った楠たち。どんな感慨を持って
 いるのだろうか。問えど答えず、五月の風に新緑の若葉を揺らしているの
 みである。