・「漂う火の玉」


  昭和36年(1961年)に、私は潮岬中学校の2年生だった。数学を教えて
いただいた潮崎 義次先生から、聞いた話を紹介する。
  潮岬は磯釣りのメッカであり、全国の太公望が大物を求めて来岬する。もち
ろん地元にも釣り好きはいるから漁場を求めて競争になる。電電公社に勤めて
いたSさんも地元の釣りマニアでならしていた。台風が接近すると、餌をあされ
ない魚たちの食いつきが良く、大物を上げるチャンスも大きくなる。
地元の釣りマニアSさんも,大物を狙ってでかけた。しかし、自然の破壊力は人
間の思惑を超えて猛威を振るった。一発大波を受けたSさんは、岩場から転落し
行方不明になった。親族一同Sさんの家で情報を待つが生死が不明のままである。
行方不明から1週間たった晩、数名の親族が仏壇の前で捜索打ち切りを話し合
っていると、外から青白い火の球が漂って来た。そして、仏壇に消えたのである。
  翌日、Sさんの遺体が発見された。あの火の球は、Sさんからのシグナルだと
いうことになったが、1人の目撃なら見間違いで片付くが大勢が見ると、そうは
ならない。人魂説や火球説、燐光説、プラズマ説が主張されたが、真相は不明の
まま火の玉話だけがフワフワと漂っている。



・「大雲取りのダル神」


   熊野道中辺路は、熊野参詣道のメイン道路であったため、大勢の熊野道者
が 利用した。とくに、那智から熊野川町小口までの大雲取り越えは、最大の
難路 で、塵秘抄に、
「熊野にまいらんと思えども 徒歩よりまいれば道遠し すぐれて山けわし」
 とあるのは、大雲取りをさすという。伊勢路の八木山越えと並ぶ西国最大の難
所であると、いわれた。
 大雲取り越えを歩くと,小さな石仏や無縁仏の墓が随所に見られる。これら
はヒダル神にとりつかれた死者の墓だといわれている。ヒダルというのは、山
道で餓死した死者の霊が旅人にとりつくさまをいい、とりつかれると全身が疲
労で歩けなくなる。ヒダル神の正体は、高所における疲労と酸素不足による身
体機能の不全現象と考えられる。高山病と症状が似ているので,対応を誤ると
死に至る。
 治療法は、食物を口にすると改善されるので,大雲取りを越える時は弁当を
少し残す習慣があった。食べ物がない時は、米という字を書いて飲み込むと効
果があったという。まったくの迷信かと言うと、南方 熊楠も体験したと書き
残している。かれが大雲取りを越えた時、ヒダル神にとりつかれ往生した。弁
当の残りをあわてて食べると、ヒダル神が逃げ去り助かった。熊楠一流のホラ
話しかというと、さにあらず、他にも体験者がいた。
  坂口 貞男氏は「熊野山ごよみ」の中で、体験を紹介している。
    「助けてくれよお」そうやな、うちから五百メートルくらいのところか
ら、声、しとった気したな.。上のおじさんと二人で、いったら、男が倒れてい
たんやらよ。四十そこそこの男が,山道に真横になって寝とった。それ見たら、
おじさん、いうたわ。
「あんなんはダルついたんや。」ほいで、家もどって、弁当箱に飯つめて男に
渡したら、手らつかわんでくったわ。ほいたら、その人のまたぐらからパーッ
と、ネコみたいなものが走ったわ。
「あれがついとってん。」そがにおじさん、言うたわ。
信じるか信じないかは、読者諸賢の自由であるが、熊野山中の山人の間では
ダル神は実在するのである。みなさんもダル神にとりつかれた時は、試してみ
たらいかがであろうか。弁当を
「出かけるときは忘れずに!」


・「妖怪ひとつ蹈鞴」


  柳田 国男は「一つ目小僧」のなかで、熊野のひとつ蹈鞴を以下のように
記述している。
  同じ紀伊の国でも熊野の山中に住んでいた一つ蹈鞴という凶賊のごとき
は、飛騨の雲入道と同じく、また一眼一足の怪物であった。一つ蹈鞴、大力
無双にて、雲取山に旅人を脅かし、あるいは妙法山の大釣鐘を奪い去りしな
どしたため、三山の衆徒大いに苦しみ、狩場 刑部左衛門という勇士に頼ん
でこれを退治してもらった。
 ひとつ蹈鞴伝説が残っている場所には、必ず近くに鉱山があり、蹈鞴師や
山師が住んでいた。那智にも、近くに妙法鉱山があり、銅の採取を行ってい
た。かれらが信仰した天目一箇神が、妖怪ひとつ蹈鞴の正体なのである。天
目一箇神は、一眼一足の神であり、蹈鞴製鉄に従事した労働者たちの後遺症
であった。一眼は片目で炎を見つめ続けた後遺症であり、片足は鞴を踏み続
けた後遺症である。天目一箇神とは、蹈鞴製鉄の労働者に敬意を表した神名
である。
 それでは、なぜかれらが妖怪視されたのであろうか。私はかれらの風習が、
地下(じげ)の農民と異なっていたからと考えている。
 例えば、風に対する解釈である。農民は強風を嫌うが、蹈鞴師は喜ぶ。農
作物の被害が増加するのに対して蹈鞴生産が増加するからである。
 次に死や穢れに対する解釈である。農民は死者を悼むが、蹈鞴師は喜ぶ。
死体を炉のそばに置くと良い湯(溶鉱)が湧くと信じたのである。
 更に、農民は里山の立ち木を保護したが、蹈鞴師は立ち木で製炭し一山の
木を切り倒したという。
 このような対立が、少数派の蹈鞴師を異端視する風潮を助長した。そして
、排斥されたのが、伝説の根底にある。妖怪ひとつ蹈鞴伝説を読み解いてい
くと、農民と漂白する非農業民の対立が浮かびあがってくる。私たちは、と
もすれば、多数者の立場に立って物事を考えるが、視点を変えれば少数者の
生存権の主張でもあるのだ。