・「山神様とオコゼ」


  宮崎 駿氏の「もののけ姫」は、私の評価では最高傑作に位置している。
その理由は非農業民の世界を差別せずに描いているからである。「熊野今
昔物語」も、山野河海に生きる人びとの生き様を等価値に描くことをテー
マにしている。その「もののけ姫」には、「やまがみさま」がでてくる。
黄金の鹿の姿であったり、透明な巨人であったり、女性であったり、その
姿は千変万化である。
 熊野地方では、「やまがみさま」は、ひとがたの時は女性、どうぶつがた
の時は狼であらわれることが多い。三重県海山町の「笑い祭り」には、女
性のやまがみさまが登場する。このやまがみさまは、気性の激しい美女だ
った。彼女が嫌いなのは、「美しい」「りっぱだ」という言葉だった。村び
とはやまがみさまの前に「りっぱな」鯛や「美しい」着物やおいしそうな
食べ物を供えたところ、やまがみさまの怒りに触れて大暴風雨になった。
困った村びとは、醜いものを捜しろ、オコゼが一番醜いということ
になった。オコゼを供えたところ、暴風雨はたちまち止み、やまがみさま
のご機嫌が麗しくなったのである。
 そこで、村びとがオコゼを笑いものにしたら、やまがみさまのご機嫌は
ますます麗しくなり、大豊作となった。これが「笑い祭り」の起こりであ
る。ここで笑いものになったオコゼは、どんな魚だろうか。あたまと口が
大きく、目玉がギョロリとしており、容貌魁偉といった姿であるが、味が
よく高級魚である。ガシラともいい、料亭でもてはやされる。やまがみさ
まは、面くいでなかったのであろう。オコゼを評価したのは、なかなかで
ある。ヨン様やイケ面タレントの追っかけに熱中しているオバチャンたち
に見習ってもらいたいものだ、と思うのは、イケ面で無いヤツの僻みかな。



・「山神様と山まつり」


  私が佐本中学校に勤務していた頃は、父母の職業が山林労務の人が大多
数であった。山仕事と呼んでいたが、山で木材の切り出し、枝打ちや下草
刈りに従事するのである。当然、事故が多く、危険である。そこで、山神
様をなて、事故が起こらんように山まつりをするのである。古座川流
域では、11月7日に山まつりをおこなったが、今はおこなうことが少な
いようだ。山まつりの日には、山で木を切ってはならん、というのが山人
の掟だが、今は、山まつりの日でも山に入って仕事することも多いようだ。
 坂本 保喜さんは、古座川町で備長炭を50年以上にわたって焼き続け
た名人だが、山まつりについて、以下のように証言している。
 山祭りは炭焼きの祭りやの。山の神さん祀る日や。その日は生き木きら
へんいうて、炭焼き仲間が集まって飲んだり食ったりして遊んだもんや。
窯に榊と酒、みかんなんかも供えての。山の神様を大事にする日でもあり
、火の神様に事故や火事にならんように手を合わせる意味もあったの。い
つのまにやら、そんなこともせんようになったのう。
(「紀州備長炭に生きる」p.61より引用)
 1992年の5月の連休のことである。古座川の一枚岩からの帰りに、
月の瀬を通りかかると、道端で奇妙なものを見つけた。四角い石の台座に
、女性の性器をかたどった石が載せられていたのである。だれかのいたず
らかと思ったが、花生けには榊がいけており信仰している人がいることが
知られた。
 これは、山神様を祀っていることが、後にわかった。山神様が女性であ
らわれることを前に述べたが、女性の性器をかたどった石神信仰との混交
がみられるようになった。そういえば、中上 健次も、熊野の山中で事故
が起きると、山人は山神をなだめるために男性器をみせたり、小便をして
再発防止を願うと述べている。座談会での発言だが、いかにも、「岬」の
作者らしい見解である。
 2008年現在、残念ながら石神様は台座に載せられていない。祀って
いた山人が亡くなったからであろう。また、山人の怪我が無くならないの
は、きっと見せられた供え物がお気に召さないからではあるまいか。