古座川流域は、中世にかけて落人が住み着いた。したがって、文化は下
流からでなく上流から発達したと言われている。山村の長い夜の無聊を慰
めるために、いろんな民話が創作された。私たちも、民話にふれて先祖た
ちの想いに浸ろうではないか。民話は先祖たちと私たちの心の対話である。
いざ、ごらんあれ。



・「植魚の滝」


 昔むかし、古座川奥の大河と言う所に太郎と次郎と父親が住んでいた。
三人は、鰹がくいたいのう、とため息をつきながら木を切っていた。太郎
は、わしが買いにいったらよ、と元気よくでかけた。大河から古座浦まで
は、歩けば三日かかる。やっとのことで、魚を手に入れた太郎は、どうし
て食べればおいしいか、尋ねた。漁師は、「つくって食べよし。」と、教え
た。太郎は、家に帰ると、魚を煮たり、焼いたりして食べて、残りを滝壷
に植えた。「つくる」を植えると思ったのである。
 しばらくたって、三人が滝壷に行くと、今まで見たことも無い魚が泳い
でいた。「仏の小魚」と呼ばれている魚だった。魚の身をつくったところ、
「仏の小魚」に成長したのである。三人は「ほとけ、ほっとけ」と、放っ
ておいたところ、大いに繁殖し、深山の奥川に棲息しているサンショウウ
オのハゼが、その魚だそうだ。
   私は、植え魚の滝に出かけてみた。1993年11月3日の休日に、
潮岬中学校の生徒三人と、一緒だった。高さ10メートルの二段に分かれ
た神秘的な滝が、植魚の滝だった。紅葉の中に、白布を敷きのべたような
滝壷は、静かなたたずまいをみせていた。私は、生徒たちに「仏の小魚」
の話をしたところ、「つくり」を「つくる」と勘違いするなんて、信じられ
んわ、と笑った。海辺の子供たちには、山村の暮らしが理解できなかった
のである。



・「滝の拝 太郎」


 昔むかし、古座川の小川に滝の拝 太郎と言う侍が住んでいた。太郎は
退屈のあまり、滝壷の周りに穴をうがつことを思いついた。やってみると、
なかなか面白く病みつきになり、ついに999穴を彫り上げた。一日一穴
を掘ったのだから、999日かけたのである。あとひとつで満願成就とい
う日に、太郎は油断して滝壷に刀を落としてしまった。
 「しまった、刀は家宝の名刀。探さずば、らちあかん。」と叫ぶと、太郎
は滝壷に飛び込んだ。ところが、太郎は滝壷から浮かび上がってこない。
村人たちは、あわてて滝壷に飛び込んだ。しかし、太郎の姿は、消えてし
まった。村人は、あきらめて帰ってしまった。
 その頃、太郎は滝壷の底の宮殿にいた。そこは夢の世界で、滝の主のお
姫様、大勢の侍女達、山海の珍味、管絃歌舞、金銀宝石が輝く極楽だった。
太郎は、この世界に埋没し、以前の暮らしを忘れてしまった。しかし、
太郎の心は満たされなかった。あの穴を千掘る満願はどうなったのだ。あ
と一つではないか。千の風になってではなく、千の穴を掘って、心の充実
を得るのだ、と決意した太郎は、
 「帰るぞ。刀を返してくれ。」と、滝の主に言った。主は、
 「分かりました。どうぞ、お帰りください。この玉をわたしと思って、
おそばにおいてください。」
 と、言って、丸い石の玉をくれた。
 太郎が帰ると、村人は驚いた。死んだと思って、葬式を出したのである。
しかし、太郎は以前と違っていた。丸い玉に、何かをささやきながら、ただ
、ひたすら世間との交わりを絶ったのである。太郎が亡くなったあと、村
人は滝の主を祀った金毘羅さまの境内に丸い玉を安置したと言う。今でも、
丸い玉は社のそばに、千年の時を刻んでたたずんでいる。
 1997年7月29日、滝の拝でナンベラの滝のぼりを見学した時、不
思議な現象に出会った。真夏だのに、カエデが紅葉しているのである。紅葉
は、気温が7度以下になると始まるが、滝の拝では、真夏でも7度以下の
気温が続くのである。冬は厳しい寒さが続くのだろうと、思った。南国熊
野も奥に入ると、寒さが厳しくなる。冬の夜寒を囲炉裏で昔話でもしない
と、過ごせんなあと、思った。
 この話も浦島伝説の変型である。現実の世界から非現実の世界に飛躍し、
また、現実の世界に戻ってくるが、以前と違った世間に変わってしまった。
人は夢を食って生きるバクのような存在だが、太郎は物質的な豊かさより
心の充実を求めたのである。山村には、宗教が流行しやすいが、働けど働
けどわが暮らし楽にならざりの現実からの逃避ではなかろうか。海民の伝
説である浦島 太郎が原形にあって、山村の滝の拝 太郎伝説に換骨奪胎
されたものであろう。
 太郎が持ち帰った丸石は、現在でも滝のそばの金毘羅社に祀られている
。この石は玉石とも呼ばれ、玉が霊(たま)を意味すころから、村へ悪霊
が侵入しないようにする守護神であった。私は丸石をなでながら、超限界
集落の小川地区にあって、守るべき集落が消滅するではないかと思った。



・「おふじと海賊」


 昔むかし、おふじというたいそう美しく気立ての良い少女が、月の瀬に
住んでいた。彼女は、重ね山の修行僧に恋をしていた。ところが、重ね山
の滝姫神を信仰していた海賊の頭目は、おふじを一目見て滝姫神の再来と
確信した。おふじを守護神にすれば、一族の繁栄間違いなしと、頭目は思
った。そして、おふじをむりやり拉致しようと待ち伏せした。まるで、北
の将軍様の命令による拉致事件のごとき卑劣な行動である。おふじは、あ
わてて重ね山に逃げた。修業僧の法力で救ってもらおうとしたのである。
「色男、金と力はなかりけり。」の例えどうり、法力も暴力の前には無力
である。修業僧は、海賊達に縛り上げられ、監禁された。
 おふじは、必死に逃げて、とある峰に辿り着いた。後ろは数百尺の断崖
絶壁である。絶対絶命の窮地に陥ったおふじは、絶壁から投身自殺をはか
ったのである。おふじ17歳、満月の夜だった。この峰は、十七夜岳と呼
ばれるようになったが、不思議なことに毎年断崖に、赤いサツキの花が、
咲くようになった。村びとは、赤いサツキはおふじの化身だと信じ、毎月
十七日の月夜に、下の川原で供養を行った。時移り星変われば、この峰は
いつしか、少女が峰と呼ばれるようになった。
 五月の古座川流域を散歩すると、山桐と山藤の花が満開である。上がり
桐に下がり藤というが、紫青の花の色の鮮やかさは、薫風と清流とともに
旅人の心を癒してくれる。おふじの伝説も桐や藤から連想したものであろ
う。
 この伝説で注目すべきは、海賊の存在であろう。海賊は、武者型海民の
呼称で漁業、交易、警護、略奪などに従事した人々を指すが、実のところ
熊野海賊(熊野水軍)の活動は、たいへん活発だった。鎌倉時代末期に、熊
野水軍は北条氏と交易の利を争い、討伐されたが屈せず、15カ国の御家
人の大軍を迎え討っている。東は関東、西は南西諸島、瀬戸内地方と広範
囲に渡って交易した。この軍事力に注目した後醍醐天皇は、倒幕の決行を
行い、新政権樹立に動いた。古座川流域に、後南朝の勢力が残り終えたの
は、水軍勢力の庇護によるものである。
 おふじの悲恋は、水軍勢力の武力と財力の大きさを物語っているが、村
びとの優しさをも語りついでいる。



・「銀杏の精霊」


 江戸時代の末、江住に日下 俊斎という医者がいた。ある夜、俊斎の夢
枕に、髪を振り乱し真っ青な顔をした娘が立った。
 「わたしは、三尾川の銀杏の木の精霊です。どうか、助けてください。
わたしを救えるのは、村人から尊敬されている先生だけです。」と、いう。
 俊斎は、翌朝、急いで三尾川に行ってみると、光泉寺では村人が寄り合
いを開いていた。銀杏の木の根がはびこって、作物が実らないので切ろう
というのである。
 「待った、待った。みなの衆、少し、自分の話を聞いて欲しい。」と、俊
斎は、昨夜の夢の話をした。 銀杏の精霊は、きっと村の役にたつに違いな
い。切れば、作物がとれるだろうが、生かせば何倍もの利益が村に湧いて
くる。 長い眼でみれば、どちらが得か、考えてみてくれ、と説得された村
人は、切るのをやめた。
 それからというもの、銀杏の周囲の畑はよく肥えだした。作物が何倍も
、 獲れるようになった。銀杏の精霊は、約束を守ったのである。それだけ
ではなく、銀杏の枝から人間の乳房のような瘤が伸びるようになった。子供
の欲しい夫婦が、瘤に触ると子供が授かるという噂が流れた。評判を聞い
て遠くからも参拝者が押し寄せた。盛況になると、誰からともなく「授け
銀杏」と呼ぶようになった。
 ウコン色の絨毯を敷いたような光泉寺の庭。 秋空に枝を広げた銀杏の
姿は、ウコンと青のコントラストが美しい。幹の回りに注連縄を張った大
銀杏は、手塚 治虫の「火の鳥」に出てくる乳房の木のようだ。献身的な
愛を貫いた女性は、赤ん坊に変身させられた恋人を永遠に世話しようと、
乳房に変身した。すさまじい母性愛である。光泉寺の大銀杏の精霊も、子
授け利益をもたらした。俊斎の何倍もの利益は生命の再生産として、見事
に実現したのである。



・「鳥屋の森の埋蔵金」


 古座川の添野川地区に鳥屋の森という由緒ありげな山がある。この山に
、後南朝の埋蔵金の伝説が残っている。後亀山天皇の子孫に山田宮という
宮がいた。南北朝の争乱の時期、熊野地方は南朝方に属していたが、南北
朝の合一後は「南風競わず」と、なった。
 後南朝が滅んだのは、紀和町大河内によった川上宮が殺害された1457年
年である。しかし、その後も南朝の皇胤をかつぐ武装蜂起がたびたび起こ
こり、そのたびに南朝の埋蔵金伝説が流布した。
 鳥屋の森も、
「朝日さし 夕日輝く 木の下に 小判千両 後の世のため埋め置く」
という、日本全国に流布している黄金伝説が残っている。添野川の地区民
も山のあちこちを掘り返したが、埋蔵金はでなかったそうだ。
 猪撃ちの猟師に尋ねると、可可大笑して、
「そんなもの、埋めたとしても、すぐ掘り返して使ってしもうたらよ。残っ
てあるかい。」という。しごくもっともなので、苦笑するしかない。
   しかし、南朝の埋蔵金は無くても、熊野酸性岩の多い古座川流域で
は、金、銀、銅などの鉱物資源が豊富だった時期があったようだ。戦前ま
で、蔵土に銅山があったくらいである。ひょっとしたら、マンガン、タン
グステン、などのレアメタルなどが見つかるかもしれない。そうなれば、
埋蔵金どころか宝の山である。埋蔵金伝説など吹っ飛んで、一躍町おこし
の切り札になりうる。 自主財源7%の町財政も、大いに潤うわけだ。
毎年、埋蔵金伝説にとりつかれた夢追い人が、古座川町を訪れる。なか
には、帰宅せずに家族から捜索願いを出されるお騒がせ人もいるそうだ。
しかし、案外、宝は家内にあるかも・・・奥方とよく話し合えば、へそく
りが出てくるのではないだろうか。あてにならない埋蔵金を探すより、そ
のほうが確実である。