・「狼街道」


  新宮市高田から三輪崎に通じる街道を木ノ川街道と呼ぶが、この街道の別
 名を狼街道という。本来は塩を運ぶ道であるが、塩を運ぶ商人が狼に襲撃さ
 れるので、狼からの避難小屋を設けたのが街道名の由来である。
  日本狼は人を襲撃することは稀で、山神様の使いとして崇められていた。
 「大神様」と呼んで、信仰の対象にされていたくらいである。しかし、人間
 同様塩がなければ生存できない体質であった。したがって、塩分補給を頻繁
 にしなければならず、塩商人を襲ったり、人家の台所を荒らしたりしたため
 害獣扱いされる場合もあった。江戸時代に、三輪崎の海岸へ潮水を飲みに出
 没したとの目撃談が残っている。熊野の山中には相当数棲息していたらしい
 が、食物連鎖の頂点に立つ動物であるため環境の変化に適応できず絶滅した。
 同じ大型獣でも熊や猪は雑食性であるから生き延びたが、肉食獣の狼は生き
 延びられなかった。
  明治39年、奈良県川上村で捕獲されたのが公式に認定されている日本狼
 の最後の一頭である。この狼は剥製にされ、和歌山大学の生物学教室に展示
 されている。もちろん、その後も目撃談が相次いだが、いずれも確証に乏し
 く幻の狼話として流布している。



・「熊野の犬」


 ヨーロッパ狼の家畜化した犬がシェパード犬なら日本狼が家畜化した犬が
 紀州犬である。紀州犬のなかでも、名犬中の名犬と評価されたのが、古座川
 町産のダイ号である。ダイ号は昭和8年、古座川町小川産の父犬テツと母犬
 ションとの間に生まれた。昭和10年、天然記念物として7頭が指定された
 が、その1頭がダイ号である。ダイ号の血統は「熊野の犬」と呼ばれ、猪犬
 として珍重された。有能な猟犬は車一台分の値段で売買されたそうである。
  名犬の条件は勇猛かつ冷静沈着かつ持久力だそうである。猟師の言によれ
 ば、猪を足止めし、攻撃を避け、猟師が到着するまで待てる犬が最高だそう
 だ。猪の牙にかかる単純な攻撃精神の持ち主は駄目なのである。
  また、母犬が名犬でも子犬が名犬になるとは限らないそうである。それぞ
 れ、素質があって、訓練で山中に離すと将来の名犬は始終駆け回っているが
 、駄犬は飼い主の姿が見えなくなると木の根元でサボっているそうである。
 従って、名犬か否かを見抜く眼力が重要で、駄犬をつかむと大損をすること
 になる。
 「人間の結婚や子供の教育も素質を見抜く眼力が重要」というのが猪撃ち名
 人の教訓であるが、若い教師であった私は大いに反発したものだ。しかし、
 還暦を迎えた今では、妙に説得力を感じる意見だ。はたして自分には眼力が
 あったのだろうか。それは棺桶に入ってはじめて分かるのかもしれない。