・「イルカ事件顛末記」


  1980年代は捕鯨禁止の国際的な動きの中で、捕鯨大国日本の栄光が消
 え去って行く時代であった。しかし、逆に日本沿岸で生育するゴンドウクジラや
イルカは豊漁で、太地の勇魚組合も捕獲したイルカの処分に困る状態だった。
そういう時代背景の中で事件は起きた。
  組合がイルカの引き取り手を公募したのである。無料で進呈するというので
一部の物好きが応募した。K先生もその内の一人であったが、先生の目的は
イルカを食べるにあらず、骨格標本を作ることにあった。同じ理科教諭のH先生
と二人で引き取りに行くと、イルカはバラバラに解体されていてビニール袋に入
れられていた。これが誤解の元になったのである。二人は肉を落とすため有田
の山中に埋めたのであるが、異臭が発生したので住民がバラバラ殺人と勘違
いをして警察に通報した。
 「すわっ、死体バラバラ事件発生。」と仰天した串本警察は、現場に急行する
と、異臭の発生した場所を掘り起こした。出て来たのは腐敗したイルカのバラバ
ラ肉塊である。
 「人騒がせな。誰が埋めたんや。」と、怒りに燃えた警察官はイルカを入手した
人物を捜索し、K先生に辿り着き事情を聞いて、事件性のないことを確認した。
  普通はこれで一件落着であるが、顛末騒動はここから始まるのである。腐敗
したイルカの後始末をしたK先生には、頭髪や皮膚、爪の間に腐臭が染み込み、
いわくいいがたい異臭がするのである。何度風呂に入っても消えない。
 動転したK先生は、香水を振りかけて登校したが、これがかえって悪く香水と
腐臭がないまぜとなった悪臭に生徒たちが閉口した。
 「あっちへ行って。」「寄らんといて。」と授業にならず、生徒たちは教室の隅に
固まって授業を受ける有り様である。家族からも家への入室拒否をされたK先
生は、天涯孤独のテント生活を送ることになったのである。
 「過ぎたるは及ばざるが如し」というが、過剰な研究心が引き起こしたイルカ事
件であった。



・「海のパンダ」


  黒と白のツートーンカラーで水槽を豪快に泳ぐ鯱(オルカ)は、「海のパンダ」
と呼ばれ、南紀白浜アドベンチャーワールドの人気者である。私の娘もファンで、
よく見物をせがまれた。「泣く子と地頭に勝てぬ」というが、
 娘に甘いキャラメルおやじとしては重い腰をあげて白浜行きとなるのである。
  鯱のことを英語でKiller whaleというが、鯨の天敵である。
 海の王者である鯨族も鯱にだけは敵わない。ユーモラスな外見に似合わず、
 「怖いおにいさん」なのである。その鯱も太地の鯨漁師にとっては、福の神で
あった。広い太平洋で鯨を捕獲するのは容易ではないが、鯱に追われて入り江
に逃げ込む鯨は捕獲しやすい。
  江戸時代の富裕者列伝「日本永代蔵」で、井原 西鶴は「鯨一頭で七浦栄
 える」と、多少誇張を交えて記述している。西濱 広亮氏の調査によれば、江
戸時代の中期の鯨の値段は大略以下の 如くである。(熊野誌第52号P.28、
29)

  一頭当たりの価格の高値と安値(九木鯨方捕鯨記録)

  ・セミクジラ 390両〜25両
  ・ザトウクジラ 280両〜32両
  ・コクジラ 230両〜13両

  大きさにもよるが、価格差が大きいから一頭で七浦栄えるとはいかない。
 しかも、鯨を取り逃がすことも多かった。したがって、確実に捕鯨できる鯱の
助力は貴重であった。「大鯱大明神」と敬われたのも無理もない。
  しかし、その鯱よりもっと天敵はWhale killerことキャッチ
 ャーボートである。鯨油目的のアメリカ合衆国の捕鯨船が、日本近海を荒ら
 し回った結果、鯨は急速に減っていった。太地の鯨方の衰えも、これが原因
 である。捕鯨発展を国策とした合衆国の外圧は、鎖国から開国へと江戸幕府
 の政策をも変えていった。そして、「大鯱大明神」も今や「海のパンダ」に格下
げされ、観光客相手の豪快な芸で拍手をもらっている。